豊かさとは。
私の中で、一つ確信めいた答えが見つかった気がする。
日本のサラリーマンが通うような、オフィスビルはない。強いていうなら銀行くらい。
いわゆる発展途上国といわれる、カンボジア。
SCY(Sambor Community Youth)は、そんな国で活動する若者による起業家コミュニティだ。
起業家といえば、シリコンバレーに代表されるような”スマート”シティを想像しがちだが、ここには、水も電気もない。最近ようやく、モバイルフォンがつながったくらいだ。
彼らが目指すのは、食・水・エネルギー・健康面での自立。そのために、農業を軸としたビジネスを推進している。主にカシューナッツの栽培や加工を手掛けるほか、英語やパソコン作業の指導も行っている。
感心するのは、自然と共生した暮らしと手仕事ぶり。
カシューナッツ栽培は、雨季の前に作業をすることで、水やりの手間を省いているとか。トラクターなどの機械に頼りすぎず、想定外の事態が起きても、自分の手で修繕し対応できる知恵をもっている。
まさに、生活のエキスパートだ。
タワーマンションに住んでいるわけでも、コンビニが近くにあるわけでもない。インフラも十分に整っているとは言い難い。
そんな状況でも、自分たちの手と足があれば生きていける。なんてしなやかで、豊かな暮らしだろう。
私たち日本人が忘れてしまった、原点がここにある。
脱炭素、サステナビリティが叫ばれる昨今、ライフスタイルの変化は否応なく迫られるだろう。
しかし、今の日本では産業界での議論に終始している感が否めない。
江戸時代の暮らしに戻らなければいけないなどと、皮肉をこめて言われることもある。
環境にいい暮らしをするには、我慢をしないと、負担をしないと許されないという前提のあらわれだろうか。
海外では、気候変動対策が生活の質を高めると答えている人が6割いるのに対し、日本人は生活の質を脅かすものだと答える人が6割いるそうだ。
この価値観を転換できれば、日本の環境対策も大きく前進するのではないか。
そのためには、カンボジアのSCYのような活動や試みがもっと人々に共有され、その豊かさが伝播されてしかるべきではないだろうか。
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